第32話

オールドココス

南の島ココスの海辺の旧ロッジ、理想的なディスティネーションだったココスのロッジ再建が望まれる。しかし毎年やって来る台風シーズン。この巨大な自然と向き合って対抗するには自然の島ココスを大きく変えてしまうことになるのかもしれない。左下の写真は現在のマリンリゾート施設として再建された頃の写真。木々のほとんどない裸同然のココスだ。

 オールドココス。ツーリストの皆   様には聞きなれない呼び方ですがこれはココス島が現在の施設、設備での運営になる前、多数の宿泊ロッジが島内にあった頃のココスを知るローカルや昔の従業員達が特別の思いをこめて呼ぶ名です。1990年12月の「ラス」、1991年11月の「ユリ」の共に2つの超台風による高潮でココス島では当時、島内にあった木造の宿泊ロッジと建設中の日帰り用の追加施設の殆ど全てを流失したのでした。両台風のコース共、グアム島南部海域を西北進したもので、南北に伸びるグアム本島南端に扇状に東西方向に位置するココスの場合この方向からの台風進路に弱く、いずれの台風でも暴風よりもむしろそれによって引き起こされる島の外洋側から細長い島内を横断しラグーン内側ビーチへと通り抜けた高潮の被害です。昨年のインド洋大津波では押し寄せる海水の力をまざまざと見せ付けられましたが、高潮の力は想像を絶し島内に点在するロッジのみならず新施設工事中の大型重機をもビーチ側に転がり出させ、島姿を変える程の猛威で島内は壊滅状態でした。

 1992年12月に現在の電・水力インフラ設備や外洋側には防潮堤を配する日帰りのマリンリゾート施設として再開されますが、それ迄の貴重な木造宿泊ロッジは旧式な施設・設備にも関らず一種独特の離島ムードが溢れツーリストのみならずローカルの隠れ家的な穴場としても圧倒的な支持がありました。米軍や観光関連以外には主要な産業もなく所得水準も高くなかった当時では子沢山の家族が飛行機で島外へ旅に出るには費用も嵩み、さりとて淡路島を少し小ぶりにしたグアム島内では適当な娯楽や気分転換の機会も少ない中で、ココス島でのロッジ宿泊は最大のストレス解消法でもありました。日本人旅行客向けの高級な滞在スタイルを志向した快適な空間は現地家族連れ或いは恋を語らうカップルの週末滞在に、美しい造営のプールやバー、ダンスステージ等の施設と共にムーディで贅沢な時間を約束し、戸建で小さな入り江を放射線状に取り囲む様に分散配置された木造ロッジは総数で80棟弱にも及びハネムーナー用のスイートまでを有していました。ロッジ各戸前の白砂ビーチでは夕暮れや静かな早朝の渚など島の一番贅沢な時間を独占し、静かに打ち寄せる漣や自然鳥のさえずりで目を覚ます滞在スタイルなど島の豊かな自然を堪能、共有できたのです。ノスタルジー溢れる「オールドココス」のご案内でした。

ココスアイランドリゾート総支配人

杉山博史(すぎやまひろし)

1974年(昭和49年)日本航空入社。旅客、総務、業務、予約部門ほか客室乗務員の乗務割企画、機内食企画、新路線開設準備など航空会社特有の業務に従事。

1996年9月よりココスに派遣され現在に至る。日本航空のホテルグループ「ホテル日航サイパン」の取締役。

Copyright 2005 Guam Sunzen Co.,LTD.